早期教育を始める前に 1

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koguayu
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こんにちは〜こぐあゆです。

すっかりブログ更新ペースが減ってしまい。自分のゆとりのなさを実感しています。ブログを始めたきっかけは、育休が終わったあと、担任を持った際に保護者の方々に伝えたいことをまとめておこうと思って書くつもりでしたが、最近は旅行や公園に言ったことをまとめるのが楽しくてそちらばかりになってしまいました。今回は、最近よく耳にする早期教育について何回かに分けてこぐゆりが思っていることをまとめていこうと思います。

 近年、モンテッソーリ教育や◯田式教育など少子化に伴い早期教育に力を入れている保護者が多数見受けられます。
 いつから、こんな早期教育が叫ばれ始めたんだろうと考えた時に将棋の藤井さんが出てきた時にマスコミがこぞってモンテッソーリ教育を取り上げたのが転換期なのかななんて思います。その前からも少子化で一人の子に対する親の期待が大きくなり小さな頃から習い事やおうちモンテをさせている保護者もいたのではないでしょうか。
 早期教育といっても英語教育における早期教育、スポーツのおける早期教育、その分野での早期教育が様々あり幅広く、今から伝えることを「早期教育じゃん」と思われるかもしれませんが、早期に習い事を指せる前にという意味でお読みになっていただけると幸いです。

自然の中で遊ばせる大切さ

幼少は特に自然の中に身を置くことが大切

「子どもが心配 人として大事な3つの力」 養老孟司

 周りが湖と川と山に囲まれた田舎の小学校に勤務していたとき、低学年の児童と生活科の勉強で公園に「自然見つけ」をしに行きました。田舎の子どもたちはどこに何がいるか、咲いているかよく知っています。また、「先生、この辺はハチの巣が毎年できるから気をつけて」「この花は水に入れると色がでるんだよ」と私に教えてくれました。バケツに大量のカブトムシの幼虫を入れてきて、これを教室で飼いたいなんて言う子もいてびっくりしました。その前にいた学校は比較的に駅に近く都会の学校だったので、そんな発言はなく教科書通りの自然を見つけてきていたのでこの小学校に来た時に周りに自然があるって素晴らしいなと思いました。

 養老孟司さんは「子どもが心配 人として大事な3つの力」の中で、「縦や横の直線が多い都市部はすべてが人工物です。建物、公園、地面。すべて人が作ったものです。一方、自然界は縦や横の直線もあり、花や生き物は曲線。音だって、電車や車の音、電子音ではなく邪魔な人工的な音がないぶん、鳥のさえずり、川のせせらぎ、風の音、とても広い周波の音がある。幼い時に、自然と触れ合うことによって、豊かな幅広い感覚系が育つ」と仰っています。

 また、都会と違い自然豊かな場所は道も平坦ではなく舗装されていないでこぼこした道、上り坂下り坂、登れる木など本物の遊び場があるのです。田舎の小学校と都会の小学校で最も違ったのが子どもたちの体力でした。学力は田舎の方が少し劣るところがありましたが、体力差は圧倒的に田舎の小学校の子たちの方がありました。自然豊かな場所で子どもたちは体感、持久力、柔軟力を育んでいるんだなと実感しました

 子どもに習い事をさせる前にまず、幼少期に自然豊かな場所に身を置くことが大切なのかもしれません。

我が子どもたちは6ヶ月からお外遊びをします。葉っぱを食べてしまっていましたが、まずかったのか2回目は食べません。

異年齢集団で遊ばせる大切さ

 私が子供の頃は放課後に習い事をしている子が少なく、また、親もさほど働いていなかったためどこかの公園で遊ぶというのが放課後の風景でした。その中で遊んだこともない子や学年が違う子たちと遊ぶことが当たり前の風景だった気がします。

異学年集団で遊ばせる大切さ
 10年前に教師をしていたころは6年生が1年生と話す際にこちらが何も言わなくてもしゃがんで1年生に目線を合わせて話をする姿がありました。しかし、最近の子はそれを言わないとしゃがんで話すことができなくなりました。
 異年齢集団で遊ばせると6年生は低学年の子の気持ちがよくわかりようになります。言っても聞かない1年生にどう言えばわかってもらえるか、泣いている1年生を優しい言葉で慰める。また、1年生はお兄さんお姉さんに優しくしてもらえるとすごく喜びます中学年の子たちはそんな6年生の姿を見て自分もそうなりたいと学びます。これが異学年集団での成長です。
 以前、勤務していた学校では異学年集団で掃除をし、1年に一回文化祭も異学年で行います。1年生から6年生まで、それぞれ育てた野菜を保護者の方々に豚汁にしていただき文化祭の日にみんなで食べます。また、文化祭は異学年集団のグループで一年がかりで考えてきた劇やゲームやアトラクションをやります。子どもたちの成長が一番見られるのがこの文化祭です。この文化祭の準備が教員にとってはとても大変で年々縮小されてしまうのがとても残念です。そして卒業式は在校生は全員参加で6年生を見送ります。1年生からも嗚咽が聞こえてくるくらい泣いている子がいて感動します。
 

放課後遊べない子どもたち
 では、どこで異学年集団で遊べるかと言うと放課後の公園です。ただ、最近は学校の校庭や公園に放課後子どもたちがいません。少子化なのかなと思い小学生を持つ保護者の方々に聞くと、そもそも親が働いていて子どもが学童に行っていたり習い事に行っていたりするので放課後公園に行く選択肢がないそうです。専業主婦の方々がマイナーになりつつある近年、放課後に遊ぶ友だちがいないなんていうこともよく聞きます。とても残念です。また公園に行ってもボールもだめ、大きな声を出すこともだめなんて言われてしまえば、どこかの家に集まってゲームをすることになってしまうそうです。もちろん、全国の小学生が同じ現状とは限りませんが少なくとも都市部では、あるあるなのかもしれません。
 放課後の公園は、異年齢集団が自然に遊べるコミュニケーションの場だったのに大人がそれを奪っているといっても過言ではありません。
 核家族が当たり前で住んでいる場所の共同体が希薄になっている今、子どもにはまずたくさんの子どもがいる公園で遊ばせてあげたいものです。

ぼーっとする時間の大切さ

 サドベリー教育は知っていますか。モンテッソーリ教育やシュタイナー教育は日本でも有名になってきましたが、子どもたちの学ぶ力を信用し自由度の高い教育方法の一つです。簡単に説明すると、日本の公教育は、基本的に先生が主体となって教育を進めます。時間割があり、1時間目は国語、2時間目は〜というようにカリキュラムにそって教育をします。しかし、サドベリー教育では先生と生徒が対等な立場だと考え、自分のカリキュラム、学校のルールまでも子どもたちに決めさせます。その中で午前中、何もしないでぼーっとしている子がいても先生は何も言いません。午後からその子はものすごい集中してドラムを練習していたそうです。
 「世界7大教育法に学ぶ才能あふれる個の育て方 最高の教科書」では、おおたとしまささんが以下のように述べています。

 どんな人生が「充実して豊か」なのかは、それぞれそのひとが決めること。そのために必要なのは他の誰でもない、自分自身のものさしが必要。それがその人にとっての「人生の羅針盤になる」

 自分自身の「人生の羅針盤」にしたがって「航海」するそのプロセス自体が幸せなのだと気づくことができます。

 生まれたときから自分のポケットに入っていた「人生の羅針盤」の存在に気づき、それを使いこなせるようになるために必要なのは、実は大量のぼーとする時間なのだということをサドベリー教育は教えてくれます。

「世界7大教育法に学ぶ才能あふれる個の育て方 最高の教科書」 おおたとしまさ

 教育熱心な親は、SNSやインターネット、マスコミで伝えられている教育方法を我が子にもと取り入れ良かれと思い多くの習い事や塾に通わせようとします。しかし、そのことで子どものボーッとする時間を奪うことはもしかしたら子どもの自分で成長する時間を奪ってしまっているのかもしれません。
 長男が保育園でお昼寝をして夜寝る時間が遅くなってしまうので、保育園にお昼寝をなくしてほしいとお願いしたところ、お昼寝は、「寝る」よいう時間よりも「個になりボーッとする時間」でもあるので必要です。と言われました。確かに保育園は朝から晩まで他人と集団生活をしているわけですから個になる時間はお昼寝の時間しかありません。そういった時間を親が提供するのも大切なことなんだなと思います。

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